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2009年03月24日

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sacrifice

Seattle

まずまえがき…つらつらと。
一度はじめてしまえばなんなりとがんばろうという気持ちがわいてくるんですが、
始め、が苦手です。
…でも、春です。
どんないきさつがあったか詳しくしらないけれど、
学校なり会社なり、9月に始まるアメリカと違って、4月を始まりとしている日本はえらいと思います。
なんだか物事をはじめようって気がしてくる季節です。
こんだけ前置きして、なにを始めたかというと、宣言していた水泳です。
5ドルでゴーグルを手に入れて(安い。)、
おんなじスタジオの仲間もたまたまみつけて、
楽しくなりそうです。
昔はいくらでも泳げたけれど、
50mごとにブレイクを挟みながら、
1000mでもう満足。
レーンごとになんとなく速い、ミディアム、遅いにわかれてるのですが、
速いコースはすごいです。
筋肉のかたまりが水をかきわけて泳いでる感じ。力強い。
ミディアムコースが私のいるレーンです。
ここのうまい人は、美しい。水が体にまとわりつくように見えて、
優雅で、無駄な力をいっさい感じなくて、すいすいと前に進みます。
いつまででも泳げそうです。
肩甲骨が固い私が水泳にむいてないって言われたわけがわかった気がしました。
遅いコースでは、
おじいちゃんやおばあちゃんが、浮いてるだけ…?いや、進んでる!って感じで泳いではります。
行き帰りのキャンパス内の散歩も楽しい。
桜がいい感じになってきました。7分くらい。
cherryblossom の感じはいまいちよくわかりませんが、
枝を黒くしっかり描くと、
あるいは、桜の写真をフォトショでコントラストをあげると、
桜からsakuraっぽくなる気がします。
ハチドリをみました。
ハチドリかどうかしらないけど、たぶんあれはハチドリです。
ブーンっ!と寄ってきて、
はちかと思って身を固くしたら、
鳥の形をしていました。
握りこぶしの半分くらいの大きさで、お腹の色がパッションピンクで、
すごく素早く飛んで行きました。一瞬の出来事。
でも、あれはハチドリだと思います。

本題にもどります…またです。sacrifice。
どれだけの人が興味を持ってくれているかわからないけれど、こりずに。何度でも笑
でも、今期のまとめ週間の一貫で…ね。
あくまで私の解釈です。
でも、読んでもらえたら、嬉しいと思います。

sacrificeは犠牲とは違います。
もっと捧げる、の意味合いが強いみたい。
捧げるものに、捧げたい!という意志があります。
そこが、victimとは違うところ。
捧げられたものは、giftとなって、
そのコミュニティに何らかの形で還元されます。

giftは、たとえばmonumentの形となって現れる。
つまり音楽や、詩や、建築の形になって。
この形になったとき、私的な捧げたいの気持ちも、コミュニティに還元されるわけです。
…そう、このコミュニティが大事です。これがないと、ただの消費になってしまうのです。
コミュニティがある限り、このmonumentはケアされ続けるし、
逆にそのコミュニティも、そのmonumentによって、少なくともその部分においては生き続けることができるのです。
monumentはきっと、過去のそのまんまの形である必要はありません。その時代、その個人によって、新たな”詩”、意味、解釈が加えられながら、それでも引き継がれていくのです。
だからこそそれはいつでも新鮮で、また次の世代へも引き継がれていくのです。

今期あるプロジェクトをしました。
編集のメンバーは、私と、こちらで働いているすえけんの先輩2方。
プロジェクトの内容は、シアトル本づくりです。
自分たちで今まで撮ってきたシアトルの写真の、写真集です。
末包先生の異動をきっかけに、なにかプレゼントがしたい!ということで、シアトル支部として始まったプロジェクト。
シアトルの今、日常を封じ込めた本にしようというのが趣旨です。
それぞれ日々、前に前にと進んでく中で、
それをきっかけに、ほっとそれぞれのシアトルの思い出を思い出してくれれば、と。

本は、編集ソフトをネットでダウンロードして、つくって送信したら、
数日後に立派に製本したものを届けてくれます。
一度作ると、ネット上で追加注文ができます。
写真もネット上の写真共有サイトを利用して。
意見交換もおもにメールで。
日本にいる先生、
UWの、まさにsacrificeの授業の先生、
NYにいはる先輩にもコンタクトをとり、協力していただいきました。
物理的に会う時間、場所が合わなくても、
8割方の事は運びます。

それでも、人間は最後にはきっと、最終的には物理的に接触しなくてはだめなんだと思います。
これだけではあとの2割は完了しないのです。
本に載せたメッセージのサインをいただいたり、本をそれぞれに手渡したり、
そしてそのこと自体以外に、
個人的に、いろんなとこでそれぞれのことをしている方たちとお話することコミュニケーションすることが、
とてもおもしろく、楽しく、有意義だったのです。
その本は、私たちが思い立って作ろうとした本でもあるけれど、なにより「末包先生」の本なのです。
そんな本というひとつのものを通して、このような機会ができた。
つながったのを感じる瞬間でした。
…始めた当初はもちろんそんな意識は全くありませんでしたが、
sacrificeの原理、こういうことなのかなー?
とふと思いました。
もっとも、これは私にとってだけのメリットですが、
これがもしも、ほかの人にとってもそうであったら素敵だなと思いました。
この本は、そういう意味でも、勝手ながら、私にとって大切な一冊となりました。
そして改めて、これもまた勝手ながら、先生に感謝しました。
先生、今頃シアトル思い出してくれてるといいなー…

そして、私がこちらに来る時も、たくさんの素敵なプレゼントをいただきました。
少なくとも、私の元気の源です!
だけど、どういう形かでいつかそれが私のいたコミュニティに還元されるように、
よし、がんばろ!
という気持ちになりました。

そして、懲りずに書き続けるsacrificeについてのこのブログもきっと…笑



追記…
生活も命もlifeと表現すること、
地面のこと(たとえば、屋上緑化の屋根の上にのってる土も)をearthと表現すること、
好きです。
詩(抽象的なことば)と実際が結びつくこと。
これが大切だと最近感じています。

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